「どうやって褒めたらいいですか?」「どう叱ったらいいですか?」こんな質問を保護者の方からいただく事は多いです。「子どもを褒めたいと思ってはいるけど、うまく褒められない」「何度叱っても言うことを聞いてくれない」どう褒めようか?どう叱ろうか?と、保護者の皆様それぞれに頭を悩ませているようです。
人を育てていく中で、褒める事も叱る事も時には必要ですね。しかし、やり方を間違えると逆効果になってしまう事もあるので、これには注意が必要です。それについてお伝えしたい事もいくつかありますが、褒める、叱るの前に、まずは前提として持っておくべき大事な考えがあります。それは「子どもを一人の人格として認める」ということです。彼らも子どもの前に1人の人間です。人間には一人一人が生まれながらにちゃんと人格があります。
私は、この「子どもを一人の人格として認めている」という前提があってこそ、初めて「褒める」「叱る」が成立すると思っています。それがない上での「褒める」「叱る」だけでは、子どもにとって十分な成長のきっかけにはなり得ません。子どもにとって一時的な喜びや戒めにはなるかもしれませんが「褒められたいから頑張る」「叱られるからあれはしない」だけが判断基準の、常に大人の顔色を伺うような子になるだけです。こうした外部の評価に依存した状態では、自分で考えて行動する力は育ちません。
人を育てていく中で、褒める事も叱る事も時には必要ですね。しかし、やり方を間違えると逆効果になってしまう事もあるので、これには注意が必要です。それについてお伝えしたい事もいくつかありますが、褒める、叱るの前に、まずは前提として持っておくべき大事な考えがあります。それは「子どもを一人の人格として認める」ということです。彼らも子どもの前に1人の人間です。人間には一人一人が生まれながらにちゃんと人格があります。
私は、この「子どもを一人の人格として認めている」という前提があってこそ、初めて「褒める」「叱る」が成立すると思っています。それがない上での「褒める」「叱る」だけでは、子どもにとって十分な成長のきっかけにはなり得ません。子どもにとって一時的な喜びや戒めにはなるかもしれませんが「褒められたいから頑張る」「叱られるからあれはしない」だけが判断基準の、常に大人の顔色を伺うような子になるだけです。こうした外部の評価に依存した状態では、自分で考えて行動する力は育ちません。
間違って欲しくないのは、子どもを大人として扱うということではなく、「その子に合った適切な期待と信頼」を寄せて接して欲しいのです。また、子どもを子ども扱いし過ぎるのではなく、「その子の年齢に応じた配慮」をして欲しいのです。過不足なく、真っ当なその子自身として接して欲しいということです。それが子どもとの関係をつくる上で大切だと思います。
最後に、私たち大人は子どもの存在を「良い」「悪い」と評価してはいけませんね。本当は「良い子も悪い子も」世の中にはいなくて、「良い行いと悪い行い」があるだけなのだと思います。「どんなあなたも愛しているよ」という気持ちでかたわらに寄り添いながら、存在そのものを丸ごと受け止めところから全ては始まります。その上で、子どもたちがする行為に対して時に褒めたり、時に叱ったりもしながら「物事の良い悪い」を伝えていけばいいのではないでしょうか。
最後に、私たち大人は子どもの存在を「良い」「悪い」と評価してはいけませんね。本当は「良い子も悪い子も」世の中にはいなくて、「良い行いと悪い行い」があるだけなのだと思います。「どんなあなたも愛しているよ」という気持ちでかたわらに寄り添いながら、存在そのものを丸ごと受け止めところから全ては始まります。その上で、子どもたちがする行為に対して時に褒めたり、時に叱ったりもしながら「物事の良い悪い」を伝えていけばいいのではないでしょうか。
園長 後藤大周





